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先日の9月2日のホームゲーム。夏の終わりを感じさせる涼しい風が時折吹く九石ド-ムでの甲府戦は4対1での勝利。とはいえ、その時点で順位は15位。勝ち点25。残り10試合、まだ最低でも10ポイントは上積みしなければならない状況。
翌週の川崎戦もドローとなり、厳しい闘いはまだまだ続くが、ゴール裏のサポ-タの皆さん方の力強い応援にはいつもながら感謝・・・感謝!
翌週の川崎戦もドローとなり、厳しい闘いはまだまだ続くが、ゴール裏のサポ-タの皆さん方の力強い応援にはいつもながら感謝・・・感謝!
ところで、10年前の大分トリニ-タはどうだったのであろうか?秋風とともに少し振り返ってみよう。
今から10年前は平成9年(1997年)。Jリ-グができて5年目、フランスワ-ルドカップアジア地区予選を必死に戦っていた日本代表チ-ム。加茂監督から岡田監督へ、そしてそれはジョホ-ルバルの歓喜へとつながる。
この年、大分トリニ-タはクラブ創設から3年間指揮をとった文正植監督から朴景和監督に交代してJFL2年目を戦っていました。結果は16チ-ム中12位、シーズン開幕から勝てない試合が続き監督交代、コ-チが臨時代理監督、しかしそのコ-チも体調不良で別のコ-チに代理代理監督したりして迷走していました。そして、スポンサ-問題でもメインスポンサ-が引き、瀬戸際に立たされて、苦境に喘いでいた大分だった。
福島国体で教員チ-ムが母体できた福島FCも資金難でJFLから脱退した。大分も「ごめんなさい」というのは簡単だった。観客は千人にも満たない、いや佐伯陸上競技場で行った試合では百人にも満たない試合があったのがつい10年前のことなのです。
事務所もマンションの一室(2k)のみ、専従者は年配の方が1名のみで後はすべてボランティアで行っていました。ですから先乗りスコアラ-なんてとんでもない・・・そんな費用はどこにもない、今考えると、この時期が1番チ-ムを解散しやすい時期だったのでしょう。この時に大分がもし・・・もし消えていれば、今の大分はどうなっていたのであろうか???想像してみたい・・・・
九石ド-ムはもちろん建設されていない、もちろん大分トリニ-タもない。国体用のなにがしかの施設はできていると思うが・・・。JFL並みの全国リ-グに参加するクラブがあることが条件だった2002年W杯も大分では開催されていない。おそらく九州の他県で開催されているのでしょう。そして、大分は指をくわえて見ていたでしょう。W杯で道路計画が数十年早まったと言われていました。従ってスタジアム周辺の道路事情も旧道のまま。スタジアム近郊の大規模なショッピングモ-ルも住宅団地もすべてなし。高速道路さえつながっていたかどうか、あやふやだ。スポ-ツ公園もあるかどうか?
そして現在、大分トリニ-タの試合に来ている2万人の観客、その観客の方々から網の目に伸びる様々な人的なネットワ-ク、経済効果、この社会的な力の根源をなすエネルギ-も消えていたのでしょう。
日本代表の試合も大分ではスタジアムもないし、開催能力もないので他県に回っているでしょう。そして大分から日本代表の試合見学に多くの方々が出かけていることでしょう。
でも最近のJリ-グを目指す各地域の動きを見ると、大分でもきっと「大分からJリ-グを」という何がしかの声は上がって行動する人達がでてきていたでしょう。そして彼らはこうつぶやいているでしょう・・「どうして苦労してJFLまで昇格したチ-ムを大分は解散してしまったのだろうか?もったいない・・」と。
以上、すべては作り話ですが、このクラブが消えていればそれに近い事象が生まれてきていたと推測されます。大分にできて15年、地域に益々根付いていくJクラブの大分トリニ-タ。でも消滅しない保障なんてどこにもありません。アメリカの大リ-グやヨ-ロッパのサッカ-クラブでもここ百年の歴史を振り返れば移転・消滅の事例は数多くあります。
マルハンの胸スポンサ-問題はもっと長い歴史的なスパンで考えてみた時に、後世の方々に何を残すのでしょうか?
今から10年前は平成9年(1997年)。Jリ-グができて5年目、フランスワ-ルドカップアジア地区予選を必死に戦っていた日本代表チ-ム。加茂監督から岡田監督へ、そしてそれはジョホ-ルバルの歓喜へとつながる。
この年、大分トリニ-タはクラブ創設から3年間指揮をとった文正植監督から朴景和監督に交代してJFL2年目を戦っていました。結果は16チ-ム中12位、シーズン開幕から勝てない試合が続き監督交代、コ-チが臨時代理監督、しかしそのコ-チも体調不良で別のコ-チに代理代理監督したりして迷走していました。そして、スポンサ-問題でもメインスポンサ-が引き、瀬戸際に立たされて、苦境に喘いでいた大分だった。
福島国体で教員チ-ムが母体できた福島FCも資金難でJFLから脱退した。大分も「ごめんなさい」というのは簡単だった。観客は千人にも満たない、いや佐伯陸上競技場で行った試合では百人にも満たない試合があったのがつい10年前のことなのです。
事務所もマンションの一室(2k)のみ、専従者は年配の方が1名のみで後はすべてボランティアで行っていました。ですから先乗りスコアラ-なんてとんでもない・・・そんな費用はどこにもない、今考えると、この時期が1番チ-ムを解散しやすい時期だったのでしょう。この時に大分がもし・・・もし消えていれば、今の大分はどうなっていたのであろうか???想像してみたい・・・・
九石ド-ムはもちろん建設されていない、もちろん大分トリニ-タもない。国体用のなにがしかの施設はできていると思うが・・・。JFL並みの全国リ-グに参加するクラブがあることが条件だった2002年W杯も大分では開催されていない。おそらく九州の他県で開催されているのでしょう。そして、大分は指をくわえて見ていたでしょう。W杯で道路計画が数十年早まったと言われていました。従ってスタジアム周辺の道路事情も旧道のまま。スタジアム近郊の大規模なショッピングモ-ルも住宅団地もすべてなし。高速道路さえつながっていたかどうか、あやふやだ。スポ-ツ公園もあるかどうか?
そして現在、大分トリニ-タの試合に来ている2万人の観客、その観客の方々から網の目に伸びる様々な人的なネットワ-ク、経済効果、この社会的な力の根源をなすエネルギ-も消えていたのでしょう。
日本代表の試合も大分ではスタジアムもないし、開催能力もないので他県に回っているでしょう。そして大分から日本代表の試合見学に多くの方々が出かけていることでしょう。
でも最近のJリ-グを目指す各地域の動きを見ると、大分でもきっと「大分からJリ-グを」という何がしかの声は上がって行動する人達がでてきていたでしょう。そして彼らはこうつぶやいているでしょう・・「どうして苦労してJFLまで昇格したチ-ムを大分は解散してしまったのだろうか?もったいない・・」と。
以上、すべては作り話ですが、このクラブが消えていればそれに近い事象が生まれてきていたと推測されます。大分にできて15年、地域に益々根付いていくJクラブの大分トリニ-タ。でも消滅しない保障なんてどこにもありません。アメリカの大リ-グやヨ-ロッパのサッカ-クラブでもここ百年の歴史を振り返れば移転・消滅の事例は数多くあります。
マルハンの胸スポンサ-問題はもっと長い歴史的なスパンで考えてみた時に、後世の方々に何を残すのでしょうか?

