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ブログのスタートにあたり、トリニータへの想いということで、まず私が「大分トリニ
ータ昇格特集号」に寄稿した記事をUPしました。このブログでは、今後、会の活動に
ついての情報などを載せていきます。
時は平成4年の5月に開幕したJリ-グ華やかりし頃、ワ-ルドカップ招致に立候補した 開催地の条件としてJFL並みのチ-ムが開催候補地に必要という事で、サッカ-協会や青年会議所の方々が集まってチ-ムつくりの骨格を作る話し合いが始まった。
皆さん仕事を持っているので集まるのは夜8時ごろ、終わりは深夜を越える日々が続いた。
時は平成4年の5月に開幕したJリ-グ華やかりし頃、ワ-ルドカップ招致に立候補した 開催地の条件としてJFL並みのチ-ムが開催候補地に必要という事で、サッカ-協会や青年会議所の方々が集まってチ-ムつくりの骨格を作る話し合いが始まった。
皆さん仕事を持っているので集まるのは夜8時ごろ、終わりは深夜を越える日々が続いた。
資金のあてもない、選手をどうやって集めるか、チ-ムは誘致するのか、ゼロから作るのか、練習グランドは、用具は、ユニフォ-ムは、など等、ないないづくしの状態から始まったチ-ムづくりでした。
そういった中でスタッフの募集も始まった。公募すると日本全国から約150人の方々が応募してきたがボランティアだと知ると身を引く方々も多かった。面接を行ったりしながらスタッフも決まった。有給の事務局専任者は1名、後は全てボランティアでチ-ム運営が始まった。
チ-ムのマネ-ジャ-はOLや女子大生、週間計画を作り仕事や授業が終わると夕方から大分ガスの練習グランドに駆けつけてくれた。高校の女子マネ-ジャ-の延長である。ボ-ル拾いや草むしりは日常だった。
初代広報部長としての広報誌の作成も始まった。とにかく始めなくてはならない、素人がJチ-ムやプロ野球の広報誌などを手に入れて印刷会社の方と打ち合わせを行って回を重ねていった。4百人を越える応募者のあった選手のセレクション、県1部リ-グからのスタ-トではサッカ-協会の多くの方々が全面的に協力してくれた。皆、仕事をしながらの作業だったので時間のやりくりが大変だった。
鹿島や清水の街がサッカ-を通じて活性化している状況を目にするにつれて、元々サッカ-好きであった私の心の中にチ-ムへの愛着が浸透していった。
サッカ-の故郷イギリス、土曜日午後3時はプレミアリ-グのキックオフ時刻である。百年間変わらないキックオフ時刻、その1時間前にはチ-ムのユニフォ-ムを着て旗を持った家族や地域の方々がスタジアムに行く光景が延々と続く。街の人々はその日、その時刻にすべてのスケジュ-ルを合わせて活動する。試合開始前には街の商店街も締まり、駅も、道路も人影も少なくなる。皆、自宅でパブでスタジアムで観戦するのである。
時間のある豊かさ、スポ-ツを通じての豊かさ、地域のチ-ムを応援し、楽しむ精神はイギリス全土に長い歴史とともに確かな土壌を築いてきた。そういった憧れが私の心の中で大分トリニ-タとダブっていった。
県リ-グ、九州リ-グ、そしてJFLになると有料になり、スタジアムを使用するのでチケット販売やもぎり、設営、メディア対応、受付などのボランティアを必要とした。年月を重ねるにつれボランティアの人的ネットワ-クも徐々に形成されていった。
人が人と大分トリニ-タという共通のキ-ワ-ドで出会い、それぞれの想いをめぐらせて作業を行う。あのスタジアムへ行けばまたあの人たちに合える、そういった快い快感が心の中を少しずつ支配していった。集まれば「久し振り~お元気ですか?」と笑顔で交換できる心の底にはこのチ-ムを愛しているボランティアの愛情がこもっている。
なぜボランティアをするのか?端的に答えれば「大分トリニ-タが好きだから」「我が故郷大分が好きだから」「サッカ-がすきだから」としか答えようがない。
スポ-ツを通じて市民が共通の話題を持ちコミュニケ-ションが闊達になれば、それはエネルギ-を育み、人の社会的な行動を生んでくる。人間の言葉や、考え、行動は社会を成しているのである。そういった単純な事もボランティアの出会いの中から学ぶ機会を得た。
J1昇格の瞬間、大宮サッカ-場の正面スタンド最上段で関東のからっ風に吹かれて涙した。感動っていいもんだ...久しく忘れていた!
そういった中でスタッフの募集も始まった。公募すると日本全国から約150人の方々が応募してきたがボランティアだと知ると身を引く方々も多かった。面接を行ったりしながらスタッフも決まった。有給の事務局専任者は1名、後は全てボランティアでチ-ム運営が始まった。
チ-ムのマネ-ジャ-はOLや女子大生、週間計画を作り仕事や授業が終わると夕方から大分ガスの練習グランドに駆けつけてくれた。高校の女子マネ-ジャ-の延長である。ボ-ル拾いや草むしりは日常だった。
初代広報部長としての広報誌の作成も始まった。とにかく始めなくてはならない、素人がJチ-ムやプロ野球の広報誌などを手に入れて印刷会社の方と打ち合わせを行って回を重ねていった。4百人を越える応募者のあった選手のセレクション、県1部リ-グからのスタ-トではサッカ-協会の多くの方々が全面的に協力してくれた。皆、仕事をしながらの作業だったので時間のやりくりが大変だった。
鹿島や清水の街がサッカ-を通じて活性化している状況を目にするにつれて、元々サッカ-好きであった私の心の中にチ-ムへの愛着が浸透していった。
サッカ-の故郷イギリス、土曜日午後3時はプレミアリ-グのキックオフ時刻である。百年間変わらないキックオフ時刻、その1時間前にはチ-ムのユニフォ-ムを着て旗を持った家族や地域の方々がスタジアムに行く光景が延々と続く。街の人々はその日、その時刻にすべてのスケジュ-ルを合わせて活動する。試合開始前には街の商店街も締まり、駅も、道路も人影も少なくなる。皆、自宅でパブでスタジアムで観戦するのである。
時間のある豊かさ、スポ-ツを通じての豊かさ、地域のチ-ムを応援し、楽しむ精神はイギリス全土に長い歴史とともに確かな土壌を築いてきた。そういった憧れが私の心の中で大分トリニ-タとダブっていった。
県リ-グ、九州リ-グ、そしてJFLになると有料になり、スタジアムを使用するのでチケット販売やもぎり、設営、メディア対応、受付などのボランティアを必要とした。年月を重ねるにつれボランティアの人的ネットワ-クも徐々に形成されていった。
人が人と大分トリニ-タという共通のキ-ワ-ドで出会い、それぞれの想いをめぐらせて作業を行う。あのスタジアムへ行けばまたあの人たちに合える、そういった快い快感が心の中を少しずつ支配していった。集まれば「久し振り~お元気ですか?」と笑顔で交換できる心の底にはこのチ-ムを愛しているボランティアの愛情がこもっている。
なぜボランティアをするのか?端的に答えれば「大分トリニ-タが好きだから」「我が故郷大分が好きだから」「サッカ-がすきだから」としか答えようがない。
スポ-ツを通じて市民が共通の話題を持ちコミュニケ-ションが闊達になれば、それはエネルギ-を育み、人の社会的な行動を生んでくる。人間の言葉や、考え、行動は社会を成しているのである。そういった単純な事もボランティアの出会いの中から学ぶ機会を得た。
J1昇格の瞬間、大宮サッカ-場の正面スタンド最上段で関東のからっ風に吹かれて涙した。感動っていいもんだ...久しく忘れていた!

